【外食の教科書】意識的に楽しむということ
自己啓発本、または美食について体系だって説明している本のように見えるタイトルだが、全くそんなことはない。
「こんなものを読んでも美食について全く理解が進まない!くだらない本だ!」と憤慨している人をTwitterで見かけたが、まこと滑稽であった。
そんなことを目的としていない本に対して、そのような文句を言っても空しいだけである。
では、何が書かれているかというと、イベント化、コンセプト化することで食事は楽しくなるってことがつらつら書かれている。
クスッと笑えることも多いが、多分にして親父ギャグである。テレビのプロデューサーらしいと感じるのは、私の偏見だろうか。
こういう、しょうもない(失礼!)本は、疲れたときにザラっと読むといい。
一回り上の人と飲みに行くことがあるだろうか
年に一回でも、そうした人たちと飲みに行くと面白いベンチマークになるかもしれない。定期的に行くことで発見がありそうだ。
同じ干支で集まるので【チキンクラブ】や【龍結社】などと称しているらしい。くだらないことこの上ない(笑)
一人で飲みに行く定番を作れ
一人飯は全く苦じゃないので同感である。
ネガティブになった時、つらいことがあった時に行く逃げ場を持つことは、長い人生の中で大事なことだ。嫌なことがあったら食事に走る私だが、そういう時の定番のお店は特段決めていない。確かに、作ってみたくなる。
くだらない『から』楽しい
筆者は、麻婆豆腐を偏愛している。麻婆豆腐愛好会を作ったらしいが、その名前は、麻婆十字団。そんな麻婆十字団の戒律は下記の通りだ。
くだらないことこの上ない(笑)
だが、ここに書いてある通り、
”同好の士の間では、ばかばかしい戒律、ルールほど盛り上がります。”
というのは真実だと思う。
帰属意識が高まる。大人が子供っぽいことをあえてする、だけど、それだからこそ楽しい。それを意識的にやることは、むしろ大人っぽい。
「なんとなく面白そう」「なんとなく楽しそう」を作る
食事会の案内がきたとき、単に「ワイン会」「和食を楽しむ会」「イタリアン交流会」や会場となる店の名を冠しただけの会では僕は行こうと思いません。そんな何の工夫もない名前のついた会には行っても面白くないだろうな、楽しくないんだろうなと直感してしまうからです。
僕は食事会も「名は体をあらわす」だと思っています。
会の名前自体にインパクトがあってある程度主旨が伝わり、一瞬クスッと笑わせたり、よくわからないけど面白そうと思わせたり、なんとなく参加したいと思わせるのがポイントです。
単なる食事会にも、こういう考え方を持つのはTVのプロデューサーっぽい発想だなと思った。
- 7月7日7時から7人、ビストロセプト(セプトは7の意)で、7品7777円のコースを楽しむ『ウルトラセブンの会』
- 8月8日8時から8人、トラットリア パッパで8品8888円でコースを楽しむ『パッパラパーの会』
- 京都祇園の『祇園一道』では、最初、全員うつむいてスタンバイし、「一同、おもてを上げい~」のかけ声とともに顔をあげ乾杯をする『一道おもてを上げる会』
- 予約困難な割烹『もめん』に年に一度貸切で訪問する『行ったん?木綿の会』
- お好み焼きや焼きそばなどの粉ものを年度末に食いまくる『粉食決算クラブ』
どれも親父ギャグでくだらないことこの上ないが、大の大人がこうしたコンセプトで集まって食事するのは、行く前から『なんとなく楽しそう』っていうのはわかる。
よく食事に行くメンツとユニット名をつけるのも楽しいと。
脂肪がたっぷりのった肉や脂身が大好きなデブのおっさん二人で食事に行く『背脂商会』
どれも大変にくだらないことこの上ないが
こうして楽しむ仕掛けをどんどん作っていくことは、生活を楽しく豊かにするんだろうなと感じた。大人のおふざけをもっとするべきである。